"ぼくの母には、新聞の記事を切り抜くという趣味があった。毎夕食後、気に入った記事を切り抜いては、スクラップブックに貼りつける。また、ぼくに読ませたい記事を見つけると、別の箱に保管しておく。そうして、帰省した折などに見せてくれるのだ。
母には、ぼくが好む記事というのが分かっていた。だから、ぼくもそれを楽しみにしていたのだけれど、今から十年ほど前、その中に、この本を書くきっかけともなった、ある一つの記事があった。
そこには、娘を不治の病で亡くした、一人の母親のことが書かれていた。
その母親は、医師から娘の余命を宣告されても、信じようとはしなかった。そうして、ただ回復だけを願い、看病を続けた。
その結果、娘もそれによく応え、告げられた余命よりはだいぶ長く生きた。しかし、結局は亡くなってしまった。
ところが、その後になって、母親には大きな後悔が押し寄せる。
闘病中、娘は時折「もう治らないのではないか」と弱音を吐くこともあった。しかし母親は、ただ「頑張って」と励ますばかりで、それを絶対に受けつけなかった。
「しかしそれは、かえって彼女を苦しめていたのではないか?」娘の死後になって、母親はそう思い至る。「それはただ、愛する人に死んでほしくないという、自分のエゴに過ぎなかったのではないか?」そんな、自責の念に苛まれるのだ。
これを初めて読んだ時、ぼくは慄然とさせられた。「この世には、愛する人の生を願う、そのことさえエゴになる、そんな過酷な状況が存在するのか」それが、にわかには受け入れがたかった。
以来、人の死をどう受けとめるかというのが、ぼくにとっては大きなテーマとなっている。だからこの作品でも、それについて書いた。この作品の主人公は、ドラッカーの『マネジメント』という有名な経営学書を片手に、マネジャーとして野球部の強化に取り組む。しかしその過程で、愛する人の死と、それをどう受けとめるかという、まさにぼくがテーマとしている命題に直面するのだ。"